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■■小学校4年〜6年■■
よく、「基本的にJ−POPは好きでない」みたいなこと言ったり思ったりしているが、小学校高学年のころは吉川晃司や長渕剛の
大ファンだったりもしている。一番初めに買ったレコードこそジャッキー・チェンの映画のサントラだったが、2番目は吉川晃司、
3番目は長淵剛という具合だった。兄が浜田省吾や、矢沢永吉、オフコースなどが好きで、当時は毎晩、一緒の部屋で何かしらの
アルバムのテープのA面かB面を流しっぱなしにして聞きながらら寝たものだった。兄の聞いていたものも好き
だったが、子供ゆえに「俺はこっちが」みたいな感覚もありあえて違う人のファンをやるのだった。とにかく”アイドル”
でなくて自分で曲を作るいわゆる”アーティスト”を聴かなければだめだ、みたいな強い思い込みがあり、たとえば吉川晃司が
自分で作曲してゆくようになるプロセスなどはとても快かった。
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■■中1〜中2■■
中1のとき、何気に兄の持っていた音楽雑誌をぺらぺら。真ん中へんの記事のまだブレイク前のBOOWYの
写真にビジュアル的に興味を持ち、レンタル・レコードで「JUST A HERO」を借りてくる。これがすさまじく
かっこいいアルバムで、思えばここが音楽の授業大嫌い少年が自らすすんで音楽に身を投じるきっかけとなったのだ。
布袋寅泰に魅せられてギターとアンプのセット(3万円)を購入、はじめて覚えた曲は「RAIN IN MY HEART」。
この曲をただ弾きたかったからコピーしたのだが、幸運にも基本中の基本のC、F、Gの3コードが主で構成されていたの
だった。当時は、そんなことにはに気が付いてもいないが。よくFコードが押さえられなくてギターを弾く事を挫折
してしまうという話は聞くが、自分の場合このFが押さえられなければ、この曲の中でも最も好きだったイントロが
弾けないということになってしまうので挫折はありえなかったのだと思う。 |
■■中3〜高校3年■■
徐々にいわゆるギター・ヒーローが存在する
洋楽へヴィ・メタル・バンドを好んで聴くようになる。高校のときにギターを担当する
コピー・バンドで出場したTEENSミュージック・フェスティバル長野県東信地区大会(せまい)
でベスト・ギタリスト賞を獲得、それに気をよくして音楽活動を続けることを決意。
高校の卒業シーズンごろ、E・クラプトンの「ティアーズ・イン・ヘブン」がヒットしており、
なぜかあのころの自分の心にしみてくる曲であった。時々映画サントラのCDを買う癖があり、
「ボディーガード」のサントラももちろん買った。こんな風に、歌物への興味も、ハード・ロック
やヘビー・メタルとは別に平行線で沸いてくるのだった。 |
■■高校卒業後からの数年間■■
2年制の音楽専門学校に入るも「ロックは学ぶものではない!」と1年目で中退、
のちに後悔。クイーンなども盛んに聴いていた時期で、ギター一辺倒だった少年は歌うことにかなり興味を持ち始めていた。
そんなにうまくないのに友達と2人で原宿の歩行天や新宿のアルタ近くのとんかつ屋の前の路上で弾き語ったりしたのは若気の至り
以外の何でもないが、2人で弾き語る最大の魅力は「ハモれる」ことだった。そして高校時代から数年は全く聴かなかったJ-POPに
も興味を向けるようになるのは巷で流れていたMr.Chirdrenの「名もなき詩」を聞いてからだったと思う。それらのミスチルの曲の
詞の中身や、曲への詞ののせ方の部分に衝撃をうけた。 |
■■一人多重録音時代■■
自分にっとて重要なJ−POPアルバムが2つある。一つはオリジナル・ラヴのアルバム「ereven gaffti」。自分がよく使う曲の形容で「カラフルな〜」というやつは
このアルバムのあたりのサウンドを指している。そしてあるCDショップの試聴コーナーでたまたま聴いたスガシカオの
2ndアルバム「FAMILY」のカッコよさには打ちのめされた。本人も雑誌か何かで言っていたように、とくに初期ほうの作品では楽曲アンサンブル
のなかでアコギが実にカッコよく使われていると思う。スガシカオはもちろん詞も大好きだけれど「夜空ノムコウ」の詞は世間で
言われているほどいいかなあと思ってしまう。ともかくこの2つのアルバムが自分を一人多重録音の世界へ向かわせた気がする。
友達から借りた4トラックのテープMTRで始めた一人多重録音、当時の貧弱な作品が今も適当なテープに適当な音質で残っている。
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■■バンド活動■■
SABOというトリオバンドでは自分はなぜかドラムをつとめた。このバンド結成より前、東京のアパート暮らしだったときに、
スタジオになぜかドラムの個人練習に行っていた時期がある。なぜだろうと今も思う。長野に引っ越してきてから
ある楽器屋で3万円の店頭処分品のドラムセットを発見。自宅でやれる環境があったからそのドラムは迷わず購入。
さらに練習したのであるが、その腕前は悲惨なもの。しかし、SABOはこの腕で許される楽しさを追求するバンドだった。
現在はライブなどしていないが中学からの仲のいい友達で結成されているから解散とかはなく、
今でもみなの都合が合えば断続的にやっていくバンドである。
そしてその後、マイクロフォンZという自身がギターヴォーカルを勤めた3ピースロックバンドを結成。ハードロック的リフが
主体の曲でマイナーキーの曲が中心だったが、日本語歌詞だったしそれがハードロックにきこえなかったからかマニアックと
言われたこともある。
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■■ソロ弾き語り〜現在■■
頭で構築するほとんどはバンド的楽曲だが、歌の修行の意味をこめて始めた一人弾き語り、これがやりだすと奥が深く
追求したくなってくるのであった。ハードロックとスウィートなポップスがブレンドされた独自のスタイルを自分のやれる
範囲で繰り広げている!ライブではMCの評判がよかったりする事が多いが、本当はもっと楽曲を評価されたいと思って精進している。
皮肉にもMCは事前に仕込んでおく事はなくその場で適当なことをつくろってしゃべるタイプだが、
楽曲は凝りに凝って作り込むことが多い、泣。つづく。 |
■■おまけ■■
ビートルズが本当に好きになったのはジェリーフィッシュを聴いてからだったような気がする。ノラ・ジョーンズのファースト
・アルバムはギター・アルバムでもあると思う。なぜかパイナップルを見るとテンションが上がる。味も好き。車を運転すると遅い。
が、高校の時代の音楽関係以外のヒーローはF1レーサーのナイジェル・マンセル(キャラ的には暴れ馬的存在で、怒ったときには
よけい速いみたいな所があって「アドレナリン走法」とかって当時の解説の古舘さんあたりが表現していた。笑)だった。
ライブではMCの評判がよかったりする事が多いが、本当はもっと楽曲を評価されたいと思って精進している。
皮肉にもMCは事前に仕込んでおく事はなくその場で適当なことをつくろってしゃべるタイプだが、
楽曲は凝りに凝って作り込むことが多い、泣。つづく。
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